the Episodes between You & Us

はじめに
2012年10月より全店全種類のパンに
十勝産小麦100%の小麦粉を使用するようになりました。
豊かな大自然とともにある十勝を大切に思うお客様や農家さんの心が当社の十勝産小麦へのこだわりを支えて下さったことを心より感謝いたします。
お客様の心のなかに、ますやパンがある幸せを忘れずにと思い、この「エピソードBOOK」の制作に至りました。
投稿して頂きましたお客様に厚く御礼申し上げます。
株式会社満寿屋商店
代表取締役社長 杉山雅則
我が家の朝の食卓に並ぶことが多かったますやのパン。一番好きだったのはベビーパンです。6切れを家族で分けてました。高校卒業後、地元を離れ関東に。そのまま嫁ぎました。年に1度の帰省の帰り、空港の売店でベビーパンを発見!新しい家族、子供と分けていただきました。私が子供だった頃と変わらない、優しい味です。帯広市 匿名希望 様20代
月末の集金から戻ると、父はさっそく恒例の手品を始めた。それは種も仕掛けもない、ただ外套や上着、ズボンのポケットから次々とアンパンを取り出すだけのものだったが、私達子供はそれを固唾をのんで見つめていた。頑固な父らしく、いつも満寿屋のアンパンに限られていた。60年以上も前の懐かしい思い出である。音更町 とんちゃん 様70代
今から40年前、私が高校3年生の時の思い出です。当時、私には野球部に所属しキャッチャーを任されていたK君というボーイフレンドがいました。彼は、ますやさんのクリームパンが大好きで、いつも口の中にたくさん頬張って練習に励んでいました。グローブに似た形のクリームパンを見る度に、懐かしさがこみ上げてきます。帯広市 匿名希望 様50代

昔から牛乳やチーズが苦手でずっと食べないでいましたが、ある日孫にねだられてますやパンの焼きたて鉄板ピザを食べてから、チーズが大好きになりました。今では孫と行くのはもちろん、友達との集まりに持っていったりしています。とろけたチーズのおいしさを教えてくれた孫に感謝です。士幌町 としこ 様70代
妻においしいパン屋があるよと教えてもらい、通うようになりました。クロワッサンをお店で一緒に食べた時はすごくおいしかったのに、1人で食べた時は全然違った味がしました。その事があり、妻と一緒になりたいと強く思ったものです。今後も変わらず通います。帯広市 ナナシ 様20代
昔付き合っていた彼の家によく遊びに行っていた。ある日、私の好きなねじりドーナツを持って行った時、彼から「祖母が普段は食べないのに、あのパンは、ポケットに入れてちぎって食べる喜びようだった」と聞いた。とても嬉しかった。それから、ねじりドーナツとますやパンは、私にとって忘れられない大切な存在になった。芽室町 E.N 様20代
東8条の営林局の官舎から西2条まで、母の買い物はいつも徒歩でした。小学生の私の楽しみは、ますやの「ねじりドーナツ」。ねじれた揚げパンの表面についた砂糖をなめるように食べていました。買い物カゴの中に見つけるねじりドーナツはお腹を空かせた私にとってまさに至宝で、優しい母の笑顔とともに心に刻まれています。八王子市 T.F 様70代

今年大学を卒業した孫が5歳くらいの頃。本店にパンを買いに連れて行ったら、知らない内に勝手にクリームパンを半分くらいまで食べていました。ビックリしてお金を払い、残りを食べさせました。よっぽどおいしそうに見えて、帰るまで待ちきれなかったのですね。音更町 玉ちゃん 様70代

帯広の隣町から一人でお買い物に出かけたのが「マスヤパン」。帯劇の隣の角の店。小学5年生だったかなぁ。ガラスケースの中にいっぱい並んでいたパン!! 家族の人数分を買って大切に抱えて…。バスに乗って、乗り物酔いにも負けず家へ帰り、みんなで食べたアンドーナツ。今考えても最高の味。私にとって、家族みたいな1品。帯広市 今も大ファン 様60代
私が小学生の頃、家でパンを食べられるのは土曜日の昼と決まっていた。父が大の和食党で、パン好きな母と私が父に頼んで、土曜をパンの日にしてもらったのだ。当時は土曜といえば半ドンだったから、父も私も仕事や学校を終えて昼に家に帰る。母はその頃合いを見計らい、自転車を飛ばして西1条の「ますや」まで行き、カゴいっぱいのパンを買って戻ってくる。なぜか、父はアンパン、母はエンドウパン、私はピーナツクリームパンと決まっていて、この3種類にその時々でネジリドーナツやベビーパン、カップケーキなどが加わった。食卓テーブルに積みあがる「ますや」のパンは、いつも私をわくわくさせた。もちろん私は土曜の昼が楽しみだったが、実は父も同じ気持だったと思う。たまに半ドン帰りの父が「ますや」に寄り、パンを買ってくることがあった。その時は定番の3種類に必ずアンドーナツが加わっていた。母や私がアンドーナツを食べることは滅多になかったから、あれは間違いなく父が自分のために買っていたのだ。職場を挟んで家と「ますや」のお店は反対方向だったのに、アンドーナツを食べるために父が遠回りをしていたと思うと微笑ましい。それほど好きなら母にも頼めばよかったのにと思うが、「ごはん、ごはん」とうるさくしていた手前、父も気恥ずかしかったのだろう。月日が流れて自分も子を持ち、家族で
昼食をともにできる期間はとても短いのだと実感する。今は亡き父と、今も帯広でひとりで暮らす母。一緒に過ごした家族の風景が、甘い「ますや」パンの味とともに鮮明に思い出される。札幌市 M.S 様40代

私がカツサンドに出会ったのはスケートの帰り道のことです。大会の前日でパンを買いに行くと、とても縁起の良いカツサンドが目に入り、さっそく買って帰りました。次の日食べてから大会に臨みました。すると、結果はなんと自己ベスト! それからは、大会前にはますやパンでカツサンドを買って試合に臨んでいます。最強のカツサンドに出合いました! 芽室町 ポッポ 様10代
ピンポン! 早朝に小包が届いた。嫁いだ娘からである。中から私の好物を知ってか、大きなカンパーニュ!とフランスパン! 手紙に「毎日牛の世話ご苦労様、元気でこれからも頑張ってネ」と。さっそくこみ上げるものを感じながら幸せにパンを食べた。娘にはいつも驚かされる。こんなサプライズな「父の日」であった。新得町 匿名希望 様60代
昭和52年ごろ、初めての給料をもらった時、西1条にあったますやでアンドーナツを買って、ばあちゃんに食べさせました。ばあちゃんは、私が買っていったからか、パンがおいしかったのか、涙を流して喜んでくれました。あのパンは、餡と砂糖が絶妙に合い、何年たっても変わらない味がする、思い出のパンです。帯広市 はるちゃん 様50代
当時私は釧路に住んでおり、夏休みや冬休みの度に叔母のいる帯広に遊びにきていました。ますやパンが大好きな私のために、毎回クリームドーナツを買っておいてくれていた思い出があります。結婚し、帯広に住んで25年になりますが、今でもクリームドーナツを食べる度に思い出されます。変わらない味、ありがとうございます。帯広市 ぶーちゃん 様
私達夫婦の楽しみは、菜園での草取り後にめむろ窯に立ち寄ることです。熱々のチーズの匂いに家まで我慢できず、思わず車の中で食べちゃいます。「おいし〜ね〜」とニコニコ顔の私達。ふと見ると隣の車でも頬張る姿が…。「皆同じだね〜、次もいっちゃう?!」とねじりドーナツに手を伸ばす夫。週末の畑仕事も悪くないかなと思える一時です。帯広市 さくら 様40代

ますやさんのパンは私が幼い頃から身近な存在で、子供の頃は母とますやのパンを買いに行くことが何より楽しみでした。焼きたてのパンが出てきたときの嬉しさ…。中でも母はスイートチーズが大好きで、1つ買っては2人でよく半分に割って食べていました。今では母は他界してしまいましたが、2人で分け合ったあのおいしさは忘れません。帯広市 てぃらみす 様20代
50年程前、10才年上の叔母にますやパンに連れて行ってもらいました。袋に入っていないパン、湯呑みとお茶が用意されていてその場で食べることができる。全て初めてづくしの一時。そして今日、叔母は初めての麦音へ。あの時と同じアンパンをひとつと、コーヒーをいただきました。私達は、ますやさんから長い間お持て成しを受けている事に気づき、改めて、心より感謝しています。帯広市 匿名希望 様50代

17才の頃、札幌に介護の試験を受けに行きました。特急に乗車し順調に進んでいましたが、次第に大雪となり新得で停まってしまいました。夜ご飯も食べていなかったので、お腹が空いたなぁと思っていたら、そばに乗っていたおばさんが、パンを食べないかい?とますやのねじりドーナツを差し出してくれました。いつもよりおいしく感じ、忘れられない思い出となっています。芽室町 ゆうたん 30代
明日は、妻が亡くなって3ヶ月目。妻は帯広出身で、ますやの大ファンで。私が出張の時、いつも妻が予約したパンをお土産に持ち帰りました。大好きだった山クリームパン。今日も仏壇にあげました。良い思い出に涙し、感謝の気持ちでいっぱいです。『ありがとう』。札幌市 ユウジ 様60代
夫と付き合っている頃、2人共職場が街中にありました。時間を合わせて食べる昼食は、いつも決まってますやパンへGo! その時選ぶ中に必ず入っていたのが「ちくわパン」! 大好きでした。今は形を変えて、夫の休みの火曜日の朝に麦音へ。クラムチャウダー&パンが定番です。これからもずっと一緒です!! 帯広市 ブルー 様40代
50年前も賑わいのマスヤさん。幼かった私は店先にいくつかあった丸椅子で母とパンを食べた記憶が。高校の時も学校帰りに立ち寄りお腹を満たし、わが子が低学年の頃は一緒に自転車でボヌール店まで。今は支店もパンの種類もたくさん。でも変わらないのが、買いやすい価格とおいしさ。母→私→子とマスヤびいきは引き継がれています。帯広市 パン大好き 様50代
幼い頃、体の弱かった私はよく熱を出した。その度に食が細くなって家族に心配をかけていたが、ますやのサンドイッチだけは別格だった。母は、病院の帰りに街中の本店でハムサンドやたまごサンドを買って私に食べさせてくれた。ますやのサンドイッチは、母からの愛を今でも感じさせてくれる懐かしい味だ。芽室町 あんじゅ 様40代
2年前の冬です。国家試験を2月に控え、日々勉強に追われる中で、毎朝、彼と麦音で食べる朝食が唯一の憩いのひと時でした。6時に起きて少し勉強してますやへ…。焼きたてのパンの香りにわくわくしながら、好きなパンを選んでポテトとスープのセットをつけるのが定番でした。サービスのコーヒーも、とてもおいしかったです。そして無事、私も彼も、国
家試験に合格することができました。ますやさんのパンには、本当に支えられました、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。そして実はもう一つあります。大学受験した時のお昼は、ますやの卵サンドでした。駅前の本店で、母に連れられて、バスに乗る前に買った卵サンド。試験勉強を乗り切る元気をもらった麦音セット。私の大一番のそばに、いつもますやパンがありました。私と大切な人との思い出の中に、いつもますやパンがありました。これからもおいしいパンとともに思い出を作りたいです。千葉県 R.T 様

小さい頃、共働きをしていた両親は週末になると車で満寿屋パンまで連れて行ってくれ「食べたいパンを買いなさーい」と好きなだけ買ってくれました。それが留守番をしている私へのご褒美とも言えました。そんな私を育ててくれた喜び!元気の素!!そんな満寿屋パンが今でも大好きです。帯広市 ひこまる 様30代
初めて家族で車中泊の旅をすることにした時、泊まる道の駅と朝食を考えていました。その時、朝早くからやっている麦音さんを知って、パン好きの子供たちと楽しみに向かいました。たくさんの種類のパンと温かいサービスに迎えられとってもおいしくうれしかったです。近くにお店がないのが残念ですが何度でも行きまーす!! 中富良野町 ゆうみゅう 様30代
私が妊婦生活を送っている頃、母と一緒にお産が楽になるようにと散歩をしていました。大きなお腹を抱えて歩くのは大変でしたが、散歩コースの中になすやパンを通過点にしてパンとお茶を購入し、休みがてら食べて帰るのがとても幸せでした。木の実の天然酵母パンは少量でお腹を満たせるので、小腹が空いた時には最高のパンですね♪ 帯広市 もとかママ 様30代
お金がなかった学生時代、パンの耳は常に私の救世主でした。トーストにして砂糖、ケチャップ、ソースなどあらゆる調味料を使っておいしい組み合わせを開発したり、グラタンや野菜炒めの具に入れて、研究室の仲間と夜食として食べたりしました。同じパンの耳を食べた仲間達は今でも大切な友人です。帯広市 そらくらげ 様30代
十勝南部の田舎に住んでいた私はめったに帯広に出る事もなく、父の帯広みやげのますやパンが憧れの帯広の象徴でした。山のように買ってきてくれたかつパンとカレーパン。一気に2〜3個食べたあとは、弟と大事にしまっておいた記憶があります。ノスタルジーですねぇ。おいしかったなぁ。幕別町 きぃちゃん 様50代
週末の朝食は彼氏の大好きなめむろ窯のメロンパン。ケンカした次の日もいつものようにメロンパンを買いに行き、なんとなく仲直り。その彼氏、今は私の旦那様。結婚して帯広に引越したので場所は麦音になりましたが、週末はいつものメロンパン。今年生まれた息子もメロンパン好きになるかな?帯広市 A.K 様
小さい頃からベビーパンが大好き。母が炊飯ジャーの中に入れてふかふかにしたベビーパンを半分に分けて、いちごジャムを入れたり、ひと工夫してくれたものをおいしく食べていました。パンの下にご飯粒がついていたのを今でも忘れられません。今は紅茶のベビーパンに生クリームを挟んで娘に食べさせています。帯広市 はるちゃん 様40代
車で3時間半、久しぶりに友を訪問。枕を並べ遅くまで語り合った翌朝「出かけるよ」と。さてはてどこへ?なんと麦音のポーチで朝食でした。ド田舎者の私にとり、それは夢のようなひと時でした。まぶしい程美しい緑と花、そしてパンとスープのおいしいこと。まるで外国にでも居るような心地に。ステキな思い出になりました。厚岸郡 M.T 様60代
37年前、高校生になった私は剣道部に入部。同じく入部した汽車通学の彼女がお昼に食べていたのが白スパサンドでした。中3の時に転入した私はマスヤパンの存在すら知らずその意外とも言えるサンドイッチのおいしさに衝撃を受けました。彼女に連れられ、大通りの店に行くと、たしかその場で作っていたような記憶があります。その彼女とは、今も友達です。芽室町 H.W 様50代
パンが大好きな私。主人との結婚を決める時も唯一気がかりだったのは、彼の転勤先にパン屋さんがないこと。そんな時、いつものパン屋さん巡りには仕方なくついてきていた彼が「麦麦ロール」なる見たこともないパンと婚約指輪を持って帰省。「毎週このパンを食べに連れていくから結婚してください」と言われ…今、とっても幸せです。大樹町 匿名希望 様30代
大好きな親友への手土産はますやのアンドーナツ。たまに「油断すると旦那様に食べられてしまう〜!」と怒っていた彼女。アンドーナツを食べる時には怒り顔を思い出し、笑ってしまいます。間もなく彼女の一周忌。もちろんますやのアンドーナツを手土産にお参りしてきます。帯広市 H.K 様60代
私と友だちはとても仲が良く、ケンカをすることなど全くなかったのですが、ある日パンを友達に言わず食べてしまい大げんかになりました。「食べていい?」と聞けば大事にはならなかったのにと食べてから後悔。次の日、私の好きなパニーニを買って謝りました。友達は半分くれて、一緒に食べて仲直りしました。今もパニーニをよく食べます。幕別町 たま 様10代
ますやパンといったら、ねじりドーナツです。今は亡き母が大好きだったパンです。ますやさんに行くと必ず買ってくれて、小さい頃から家族みんなで食べていました。私の中では、ねじりドーナツを食べれば母を思い出す、ちょっと意味が違うかもしれませんが、母の味なのです。帯広市 ニコニコママ 様30代
戦後間もなくの昭和30年代には、チョコレートの菓子などふんだんにあるはずもなく。そんな中マスヤのチョコクリームたっぷりのコロネは大変贅沢なおやつでした。まずは先のとがったところ(クリームの入っていない部分)を食べてから、太いところのクリームたっぷりの部分を最後に楽しむ! 子供の頃の至福の時間でしたよ。帯広市 匿名希望 様60代
本エピソードBOOKに掲載させていただいた文章は、2012年8〜9月にかけて店頭にて募集し、200通を超える投稿をいただいた中の一部です。